2023.2.18更新済:おすすめの書籍を追加
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以前にもこのトピックについて、関連の記事は書いているのですが、今回はアメリカの、特にサンフランシスコにおいてのゲイの人達の人権と人間模様などをお話します。
ゲイの街サンフランシスコは自然発生的?
さて、ゲイの街サンフランシスコと一言で聞いても、なぜそうなのかとか、今ひとつぴんと来ませんよね。それでここでは簡単に、歴史から紐解いてみたいと思います。私もここまでの歴史は知らなかったので、参考にしていただくと嬉しいです。
実は、サンフランシスコ(ベイエリア)のゲイの街としての歴史は、1848年のゴールドラッシュまで遡ります。世界各国から一攫千金を目指して、若い男性が単身でこの土地に集まったのです。
人口の95%以上が男性というコミュニティの中、荒涼とした土地での長い日々の中で楽しみや娯楽に飢えていた人々にとって、やがて男性同士で友情以上の親密な関係を持つことが普通のこととなっていったのが背景ということ・・・。
その後、第二次世界大戦中に、ベイエリアであるこの都市には全米から多くの男性が集まり(兵役で)、比較的匿名性の高い環境の中で、不確実な将来に救いを求めたり、それまで隠されていた欲望を満たそうとしたのが、同性間の関係でした。
また、戦後になっても、多くの男性達は安全で自分達を歓迎してくれるこの都市に留まり、1967年の夏の「サマー・オブ・ラブ」というヒッピーの流れがこの土地で花開くと、同性愛者の男性達は、自由恋愛を謳歌。サマー・オブ・ラブのその潮流が始まった、サンフランシスコのヘイトアシュベリー地区の隣、カストロ地区が、同性愛者のメッカとなり、その後も発展していったということなんです。
戦わずして獲得したわけではないゲイの人たちの権利
その後もサンフランシスコにゲイ団体が増加、1973年にはなんとその数は、800団体に達するなどゲイコミュニティは発達し、政治的にも除々にその力をアピールできるようになります。
残念ながら、1970年代後半にはアメリカ全土に反ゲイ感情が起こり、サンフランシスコにも影響が及びます。
また、有名な話ですが、1977年にはアメリカで初めてゲイであることを公表してサンフランシスコの市議会議員になったハーヴェイ・ミルクとモスコーニ市長が暗殺される痛ましい事件が起こってしまいました。犯人が7年の禁固刑という軽い判決に終わったことをきっかけに、同性愛者達による暴動が発生しましたが、それをきっかけにゲイコミュニティの力が政治的にも重要視されるようになりました。
こういうふうに、ベイエリアのゲイコミュニティに対する寛容さは、簡単に手に入ったものではなかったんですね。
ちょっと歴史的な話しが長くなってしまいましたが、それぞれが好きな人と自由に恋愛できるというのが、そんなに困難だった時期があって、そんなに尊いものだとは・・・。
個人的には、自分以外の人が寝室でどういう相手と過ごすなど、気にならないのにな、と思ってしまいますけどね。
まあ、サンフランシスコの洗礼を受けた人はもれなく、こうなってしまいます(笑)。
ゲイはタブーではない
さて、難しい歴史の話しはさておいて、ゲイのコミュニティーが努力なしでは手に入れられなかった自由のメッカ、カストロ。
そこでは、若いゲイのカップルが、道でオープンに好意を示して「いちゃいちゃ(flirtという)」したり、キスをしたりと本当に幸せそうです。
ベイエリアでは、ゲイ(レズビアンも含む)がまったくタブーではなく、パーティーなど初対面でも、“I’m gay.(私は同性愛者です。)”と自己紹介をするのも普通ですし、私が通っていた大学でも、「あの教授はゲイだって」ということも普通に皆、話しています。
彼らは、社会的にも経済的にも成功しているゲイの友人、知人ばかりでしたし、本当に生き生き生活していて、羨ましい限りでした(ベイエリアの家も1億円以上しますし、住居費が異常に高いところですからね)。
あわせてよみたい↓
ベイエリアの恋愛模様はちょっと複雑
私はゲイです
そういうアメリカ全土では約3.6%とマイノリティーであるLGBTの人達ですが、なんとベイエリアでは6.2%を占め、約2倍の人口(※)と言われているので、ゲイの人と知り合いになったり、友人になったりの確率は自然と多くなります。
なので、その恋愛模様もベイエリアならではで、ほんのちょっと複雑・・・。
私の友人などは、日系のレズビアンの女性と、(そう知っていながら)友人として仲良くしていましたが、あまりにも良い子なので、思わずある日、“彼女になって!”と告白。
彼女からは、“No, I’m gay.(ダメです、私はレズビアンです)”
とはっきり断られてしまったという・・・。
寂しいことに、その後彼から、「彼女とは疎遠になってしまった。」と聞きましたが、ベイエリアらし過ぎる人間模様、としみじみ思ってしまいました。
ゲイって流動的なの? あるエピソード
私がサンフランシスコ市内で住んでいたアパートに、アジア系の女性ダンサーが住んでいて、時々話をするなど仲良くさせてもらっていたのですが、彼女は民族舞踊の男性ダンサーと恋人同士で同居をしていたんですね。
とっても幸せそうだったのですが、あるときから彼女が、ダンサーとしてアメリカ国内を遠征することになったという話になって、彼の方は、それから1人で見かけることが多くなってしまいました。
暫くして、その彼から、彼女とは別れてしまったというようなことを聞いたのです。なるほど、遠距離が原因だったのかと思っていたところ・・・、
ある日、彼女だったアジア系のダンサーの子が、民族衣装が似合いそうな女性と幸せそうに手を繋いでルンルンと歩いてきて・・・。
傍から見ても羨ましい位のラブラブ状態だったので、一瞬で「察してしまった」んです。
私と友人は、“彼女はゲイになってしまったのね~”と、同居していた彼氏の方に思わず同情。アジア系の女性の彼女は、その女性と遠征中に“カップル”になってしまったんですね。
こんなにオープンな社会では、付き合う相手の性別への嗜好も自由になるのか (!) とすごく感動してしまった日でした。
だって、ゲイの方が“cool(カッコいい)”社会なんですもの・・・。(こちらは個人的見解です。)
このエピソードで、自由な街サンフランシスコが、どうしてこんなに人を惹き付けるのか分かるのではないでしょうか?
参照元:
参照元: The Castro: The Rise of a Gay Community
http:// https://www.foundsf.org/index.php?title=The_Castro:_The_Rise_of_a_Gay_Community