2023.02.18更新済:おすすめの書籍を追加しました。
最近、宇多田ヒカルさんが、“ノンバイナリー※”であるということを、告白しましたね。アメリカって、サンフランシスコのようなところでは、ゲイの人達をはじめとしたLGBTの人達の権利が保証されて進んでいると思いきや、やっぱりまだまだなところもあるのかと思う所もあって、本日はそんな、なかなか語られることのないアメリカのお話をしたいと思います。
※:ノンバイナリーとは、(身体的性に関係なく)自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティです。
引用元:JobRainbow MAGAZINE-ノンバイナリーとは?【Xジェンダーやクィアとの違いは?】
アメリカでの友人との経験
さて、個人的に、私はどちらかというと宇多田ヒカルさんと似たような考え方を持っていて、あまり人を性別や性的嗜好で見ることはなく、人って、性別に関わらず、男らしいところがあったり、女らしいところがあったりすると思う派。
なので、あまり性別による違いに大きく囚われるのは好きではないんですが、今でも社会では、そういう考え方を持つ人って、どちらかというと少数派ですよね。
そういう私の考え方もあって、アメリカでは多様な友人、知人がいました。
あるトランスジェンダーの友人もその一人で、彼女のユニークさや頭の良さに惹かれて友人になったのですが、彼女は元々、男性として生まれてきたけれども、自分では“女性”のアイデンティティーを持つ人。つまりは、自分の生まれながらの性に違和感のある、性同一障害のある人。
トランスジェンダーといっても、自分で健康上のことを考えて、更に女性らしくなるためのホルモン治療などはしていないので、妖艶な魅力を持つ、ちょっと中性的な人という感じ。
日本でいうと、最近はテレビの露出は少ないように感じますが、タレントのピーターさん的な雰囲気。または三輪明宏さんの若い頃を思わせるような、セクシーな感じの人でした。
そんな感じの人なので、かなり目立ってしまうことも手伝って、ティーンエージャーのときから大変だったとか・・・。
アメリカではクリスチャンが多数派なので、自分の持って生まれた性以外の生き方で生きることがタブー視されるというのがあるのか、トランスジェンダー系の人もそういう傾向で見られるそうなんですね。
彼女の話を聞いていると本当に、“そんなことってあるの~?”というようなピンと来ない話ばっかり。
例えば、近所のショッピングモールを歩けば、たちまち、「もう来ないで」と禁止されたりとか、そういう、「どこどこには来ないで、入らないで」ということは、限りなくあるようでした。いや~、アメリカって、結構そういうところは変というか、古いんですね、実は。
彼女は、カリフォルニアの家庭で育った人だったんですが、家庭内でも、自分が女性であるということを受け入れて貰えずに育ったそうで、学生時代までは男性の服装で生きてきて、社会人になってからは、女性の格好をするようになったということでした。本当の自分である、女性として生きられないのが堪えられなくなったと・・・。
そういった生い立ちにも孤独感(泣)のようなものを持っているようでした。
ユニークで魅力的な彼女
彼女はそういう、いわば、性同一障害を持つマイノリティーということになってしまうのですが、人間的にもなかなかの個性派。頭も良く、雄弁で、学生時代は、その頭の良さで飛び級までしたほど。音楽の凄い才能もある。いや~、聞いているとなかなかの“大物感”。
しかも、彼女って、好きになる人または好みの相手は、“女性”。
ふ、ふくざつすぎる・・・。
だから、彼女は法律上も女性と結婚できるし(法律上では男性としてではありますが)、子供も持てる。しかも、彼女の理想の女性像というのが、“雄弁(assertive)で強い女性”だということで、そうすることによってかなり男らしく見えるときもあって、それでもまったく気にしない人でしたね。
そういう、一般的な女性、しかもトランスジェンダーという枠の中にも収まりきれない彼女は、マイノリティーの中のマイノリティーと思えるほど・・・。
彼女にとっては、それがごく自然なことなんでしょうが、実際には、アメリカ社会の中でも生きにくく、仕事を始めてもなかなか続かないというような困難も抱えていました。
まず、法律上は“男性”となってしまうので、女性の格好をしての就職もなかなか難しい。かなり頭の良い人なのですが、傍からみると本当にもったいないどころではない。
内的にも、“女性である自分”を、アクセプト(受容)されたいという思い、アイデンティティーの問題が、彼女の中で優先されすぎて、キャリアや仕事に向けるべきエネルギーも阻害されてしまっている、私から見ると、そんな感じなんですよね。ある意味、一生を女性になることに費やしてしまうような・・・。本当に難しい。
彼女の周りでは変なことが起きる
そんな困難は抱えていても、色んな魅力が幾層にも重なった魅力を持つ“スター性”が垣間見られる彼女だったんですが、私がお友達として一緒に行動すると、あるある、奇妙な出来事が・・・。彼女といると、ホント、信じられないようなことがあるんですね。
私はアメリカでは、人種的にはアジア人ということで、カテゴリー的にはマイノリティーということになるんですが、そんな彼女と一緒に行動をしていると、その私も目を疑うような事が度々!
不適切な店員
ある日、カリフォルニアでの出来事だったんですが、私達は、あるお気に入りのカフェでラテを頼むのが好きだったんですね。
そのカフェでは、オーダーする際に自分の名前を言って、カップに書いてもらい注文する決まりなのですが、彼女は私の分も一緒に、ある男性の店員さんにオーダーをしてくれたんですね。
それで、オーダーが上がって、店員さんがドリンクを渡すとき、私の友人に、「どうぞ、Mr. 〇〇。」と、わざわざ男である敬称を付けて、笑いながらドリンクを渡すんですね・・・(失礼すぎる)。
彼女の中性的なルックスに違和感を感じた結果だと思うのですが、本当、アメリカの“誰でも平等”でリスペクトを持って話すっていう、尊いフラットな思想はどこに行ったの~?
という感じですよね。
ポリティカルコレクトネス(Political Correctness)※も何もない。
案の定、友人はカンカンに怒って、その後なだめるのが大変で、気の毒でしょうがなかったという・・・。
このときこそ、彼女は相手に面と向かってひどく怒りはしなかったですが、こういう感じで、例えば普通にバーやクラブに遊びに行っても、そういう失礼なことを言われたり、お手洗いも女性用に入ることを禁じられたりして、酷く憤慨してしまうことが日常茶飯事なんだそう。
毎日、心穏やかではないですよね。
それがアメリカの実情なの?っていう感じです。
※:ポリティカルコレクトネス(Political Correctness):政治的公正、差別用語を使わないこと(引用元:英辞郎 on the WEB)
突然アメリカ人らしくなくなる女性
そんなこんなで、このアメリカ人のトランスジェンダーに対する、不適切な態度って、どこから来たのかな~という謎が解けたのが、実は次のことがあってから・・・。
その日、私は仲の良かった彼女と遠方にドライブし、好きだったオーガニック系のシェイクが飲めるお店に行って寛いでいたときのこと・・・。
そこで、60代後半ぐらいの年齢に見える、シニアのアメリカ人女性(白人)がいたんですが、その女性が私の友人の席に近寄ってきて、何か言うではないですか。
友人はそのとき落ち着いて、その女性に対応していたんですが、後から彼女から聞いたことにショック!
ナント、彼女の言われた事は、「あなたのしていることは、神に反していますよ!」だったんですって・・・。
ま~、あの人権や人へのプライバシーの意識が特段に高いアメリカ人のはずが・・・。『どこに行きました?他人へのいつものリスペクトは?』という感じ。
私の解釈からいうと、そういう風に、聖書に書いてあるからとか、教会でこう習うからという、人としての根源のようなところで、まだまだタブー視されているっていうのがあって、まだまだ、こんな“勘違い行動”が出てきてしまうのかな、という感じでしたね。
アメリカでもまだまだ、人権に関しても、改善していかないといけない課題が多いんだな~ということに、改めて気づかされた日でした。
それにしても、友人のあのときの態度は偉かった・・・。ちゃんと怒らず、穏やかに、あのご婦人をいなしていましたからね。
あわせてよみたい↓
最後に
さて、今日は進んでいて見えるようで、意外に古く保守的で遅れているアメリカの側面として、私のアメリカでの友人とのエピソードをご紹介してみましたが、本当、人間の理解や知識の足りなさ、偏見から来る差別って、まだまだありますね。
実はこのトランスジェンダーの友人に起きたことは、ここに書けないようなことも多々あったりするんですよね。上記のことは“序の口”なんです。
さて、言えないこともあってモヤモヤはしますが・・・、長くなってしまいました。
最後にまとめますと、日本にいようが、アメリカにいようが、一人一人が正しい知識を持って、それぞれの権利を尊重しあって、こういうユニークで何層もの人間的魅力を持ったような人が、ただただ、シンプルに幸せに生きていける世の中になって、と私は願わずにはいられません。
では、上手くまとめられたところで・・・いつもの・・・。
良いアメリカ生活を過ごしてくださいね。
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